幸福会ヤマギシ会本部事務局
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(幸福会ヤマギシ会機関紙 「けんさん」)
●知的革命(100)−2006年2月号掲載−
社会愛主義社会(81) 吉本隆明氏との対話(九)
『人生の楽園』というテレビ番組がある。熟年の夫婦が新しい人生を田舎の土地の人々に支えられて再出発するといった毎回の物語だ。今までに筆者の知る範囲でもずっと共にやってきた二組の夫婦が登場している。日頃から皆の信望を集めていた夫婦だったので、感慨深く視聴したことであった。
かつて「他に何をしても駄目だったから、作家になった」『みみずく通信』という作家・太宰治のひそみにならって、「他にやることがないからヤマギシをやっている」と任じる筆者らからみたら、新しく他にやることが見つかったという意味ではそれはそれで結構なことなのかもしれない。
もっとも吉本氏の、人間存在の「個人としての個人」と「社会集団としての個人」をはっきり分けないで、ごちゃまぜにして受けとめると必ず人は矛盾・葛藤を覚えてしまうという見立てによれば、「個人としての個人」とか家族を彼ら夫婦はもっと生きたかったのだろう、とも解釈できる。それは暗にヤマギシズムという組織(共同性)が必然「社会集団としての個人」を優先しがちで、「個人としての個人」のつましい願いや密やかな感情をないがしろにしてきたからだとも受けとれる。これは「ヤマギシには自由がなく窮屈だ」という考え方にも相通じているが…。
このあたりを指して氏は、「私」よりも「公」を優先させる考え方が駄目だということは太平洋戦争で試験済みであり、ファシズムやロシアのマルクス主義や北朝鮮のやり方と同じだと強い懸念を抱かれる箇所だ。
この間筆者らは、社会とか個人とか離れたものではなく、「個人即社会」観に立つ自然全人一体の繋がりから浮かび上がってきた他を侵す必要のない本来の「個」人の発見に、理想社会のあるべき構成員の姿をみてきた。そして自己を最も有意義に生かすために、自発的に自分の信ずるままに、自覚・納得の上で報酬を一切省みないで本来の「個」人に合う社会の実現に傾倒することを無上の喜びと感ずる生き方を知らされてきた。
こうした、他から縛られる何ものもない人間にとっての自由を、「個人の意志、考えをまげないで、行動できる状態」と定義するならば、どこまでも自分の思い通りにやるしかない訳で、不自由と感じながら自分の意志を殺している間の努力がえらいのだ。
しかも旧来の社会的な個人は、むしろ社交や取引や利害など相互関係面からくる屈辱・犠牲・忍従・奉仕・感謝など個性以外の観念の頑固さに縛られてきた。これでは一体として革命された純粋な人間像からは程遠い。
そうした理想社会に住める資格を鮮明にする過程と、「個人としての個人」に合う自由な生き方とは矛盾するものだろうか?
筆者らは、一体社会における真の自由は、私意尊重公意行にあるとしている。この方式なら強奪も侵犯もなく各人の自由が実現されると確信する。そしてここでの急所は、公意即ち調正された意志を、固定してとらえないという各人の研鑽態度如何にある。
公意は個人の意志の集積であり、個人の意志によって変更できるものであるからだ。にもかかわらず「無固定」という考え方に筆者らは未だなじめず使いこなせないでいる。
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