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 (幸福会ヤマギシ会機関紙 「けんさん」)


 知的革命
●知的革命(101)−2006年3月号掲載−
社会愛主義社会(82)  吉本隆明氏との対話(十)

 ここまでで、氏が強く懸念される箇所と筆者らが取り組んできた人間の観念作用のひとつ「固定化」の危なさを知るという光のあて方の違いがみえてくるが、今少し焦点を絞っていきたい。
 1960年代後半の全共闘運動盛んな頃、都内の某公民館で氏の講演会がもたれたあとの質疑応答で、「権力を無くするとか抗するとかいうばあい、最低自らのなかに対立感とか怒りなどの感情の払拭が条件になるのでは……? 」とその頃一番思い悩んでいた問いをぶつけたことがある。するとしばらく考え込まれていた氏は「いや、それはあなた個人の内面を律する倫理であって、それと国家権力とか制度を無くすることとは一切関係ない」とその件に関しては自分も一生懸命考えてきた末の結論だといった確信に満ちた口調で喝破された。吃驚した。なぜだろう、と。
 氏は説く。とりわけ社会集団としての個人を組織していくためにはいろんな決まり事を皆の納得や合意のもとに作り上げていく必要がある。ところがそのうち共同でやることについて行けなくなる人が出てくるとその人にとっては決まり事が抑圧になってしまうことがある。もっとも決まり事など変えようと思えばいつでも変えられるものにすぎないが、大概の空気は一個人の都合よりも全体が優先されがちだからどうしても個人としての個人に少なからず犠牲をしいる構図になる。なかでも人類の歴史が生み出した宗教・法・国家権力が生み出す支配と被支配の疎外状態の溝は強固な共同幻想であるから、各種社会政策、知識、見識、倫理では超えることができないのだと。だから「社会集団としての個人」と「個人としての個人」の次元の違いに無自覚であると、どんなりっぱな理念を目指す集団であっても必ずそのなかの個人を、駄目(やくざ者) にしてしまう作用がはたらくのだと。ヤマギシズムでいうなら万人皆がそうだと認めるような「全人幸福」理念を一途に純粋な気持で受けとめたとき、切迫した思いにかられるばあいがある。と同時に自分のことは棚に上げて相手には厳しいことを要求するような自己欺瞞的な矛盾と息苦しさが伴ってくることもあるように……。
 たとえば、こんなことだろうか。以前二週間の長期合宿研鑽会で、ピアスなどをした女性参加者に対して「いったい彼女はここをどこだと心得ているのだろうか」と、いわばちゃらちゃらしたふるまいを正すような空気が高揚する時期があった。
 氏がくり返し「制度の問題を、倫理の問題に転嫁してしまったところが間違い」と指摘されるのはこの辺りの箇所だろうか。
 こうした「私」よりも「公」が大きいと悪意が無いからこそひとりでに考えられる恐ろしさがあるようなのだ。氏はそこに相互扶助と干渉しあいが表裏一体のアジア的感性の美点であり限界をみて、制度の問題と個人の内面の問題をはっきり分けて、そののち、個人の問題が問われるべきだ、とみなされる。
 これは筆者らのなじみの表現では、「ハイハイ研鑽」のなかの、「ハイ即実行」と「ハイ即研鑽、次に実行」との相異にあたるかもしれない。これも先の「固定化」のテーマと同様、うまく使いこなせないでいるが……。 
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