機関紙けんさん

 幸福会ヤマギシ会新聞 けんさん


知的革命

●知的革命(99)-2006年新年号掲載-
社会愛主義社会(80)  吉本隆明氏との対話(八)

 昨年末で『山岸巳代蔵全集』の刊行も第四巻をかぞえ、誰もが閲覧できて知ることができる、そんな開かれた広場ができつつある。早速その中の一節を引用してみたい。
「かくして鶏を鳩や飛行機にせないようによく検べましょう。
 而して鶏や他の動物を通じて真の人間を発見してみましょう。人間社会のあり方に関しても。」(第一巻『獣性より真の人間性へ1』)
  これは戦時中の飼料欠乏時代に養鶏組合の責任者だった山岸さんが牛も好まぬ粗飼料を調達して組合員に分配したところ、多くは食べささずに鶏を痩せさせて皆の不評をかった。ところが山岸さんの鶏舎ではどの鶏も皆満腹し落ちついてよく肥り満足そうに卵を産んでいたという逸話の部分の終いにあたる。
 読後感として、さすが養鶏の達人はちがうなぁ、しかし、鶏を痩せさせないことがなぜ真の人間や人間社会のあり方にまでつながるのだろう、と当初は訝しんだ記憶がある。
  ところが八十年代ヤマギシの有精卵の増産要請が一気に高まり、暑さや産み疲れや病気に負けない頑健な消化器の鶏体造りをねらって、大量の青草やもみ殻や焼酎粕のような食品副産物・廃物の活用もかねた給与が始まったころ、先の一節と同じ現象に直面したことがあった。たとえばもみ殻一つとっても、こんな栄養もなく消化しにくい硝子繊維の固まりが餌になるとはとても思えなかった。事実食べ残しの餌を捨てる餌箱掃除で忙しくなり、しかも下痢便の鶏が続出したりでも み殻は厄介者にも見えた。しかしまたウイスキーを製造する際の液体粕ともみ殻を組み合わせて給与してやると、なぜか鶏が喜んで食べつくす事実もあった。な ぜそうなったのか…?。
 そんな二つの事実を前に、そうか、もみ殻がダメじゃないんだ、餌を給与する自分の側に食べ残すようなやり方、考え方でやっているからだ、と気づいたとたんの発見にも似た感動は忘れられない。いまもその時の喜びを反すうして生きているようなものだ。
  何でも二つある。そのことを知った喜び。確かに私が見た、聞いた、体験した事実であっても、その事実がはたして本当に真理、真実、真意、真相、実態につながる質の事実かどうかは分からない。そこは「よく検べましょう」であり、人間社会の混迷も皆一つしか知らない浅はか軽率な自分にあるとしたら、「鶏や他の 動物を通じて真の人間や人間社会のあり方を発見」することもできるのだなぁと長年の疑問がとけていくようだった。また以前からの「ヤマギシには自由がなく窮屈だ」という事実・実感の本当かどうかを検べていく糸口を見いだせたようにも思われた。
 同じく先の『全集』第四巻(「北条実顕地の始まりと山岸さん」)に、始めのころ資金が底をついて係の人に相談したら、「鶏に餌をやら んならんということを頭から外して考えたら」と言われて、そんな無茶苦茶な、と思ったという荒瀬さんの体験談が載っている。なるほど、ふだん省みることのない頑固な考え方をせっぱ詰まって放さざるを得なくなって放して考えてみると、案外そこから光明を見いだし、いろいろの方策があることに気づかされる。何でも二つあることを知っていく、ヤマギシズムでの研鑽の効用であろうか。

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