幸福会ヤマギシ会新聞 けんさん
●知的革命(95)-2005年7月号掲載-
社会愛主義社会(76) 吉本隆明氏との対話(四)
以上までが筆者の知りえた範囲での示唆的な氏の発言の大筋だ。こうしてふりかえると三十年以上前の企画「ヤマギシズムの本質を探る」の火種を絶やさずよくぞ今日まで見守りつづけられたものだ、との感慨を覚える。
そのことは今回の「山岸会との対話」の一小節の設定からも伺える。氏の見立てによれば今後高度管理システムと産業のハイテク化を含むすべての先進的な現代 社会のそのさきを描こうとするならば、「山岸会型管理方式」を批判的に乗り越えるなかにこそ人間の幸せを第一義とする未来を覗けるモデルが得られるはずだ と考察されているからだ。
それでは「山岸会型管理システム」とはどのようなものなのだろうか? 氏はそれを筆者らとの対話を通して感じ取ったという。そこでその時の対話をその場に居合わせた筆者の気持も少しそえて再現してみる。
まず若い女性が流行の服装を着てみたいと望んだらどうするかという質問に、もちろん係が望み通りのものを買い求めて着てもらうと答えた。また自分の欲しい ものは自身で購入したいから自分で買いに行きたいと求めたらそうするのかという質問にも、係が要求通りのものを購入してくれるから大概はそれで間に合って いると答えた。
多分この時筆者らは"私意尊重公意行"とか"委し委される"とか"調正生活"といったヤマギシズムの機構と運営の原則を思い浮かべていたのではなかったか。
次にそこでの各人はどんな仕事をしているのかといった質問に、自分がやりたいことや得意なことを分担してやっていると答えた。ここでは、それぞれの持ち味 とかその人らしさとか身に合うとかの要素の組み合わせで適材適所収まる場へ収まり一枚の絵に仕上がっていくような社会像を思い浮かべていた。
続けて子どもが外で勉強したいといったらどうするのかという問いに、そんな子はいないと答えた。その頃一週間の夏の子供楽園村に地域の子供たちが数千名単位で参加する情勢にあり、逆に広く地域の子育ちの場として村を公開していく準備に追われていた。
そこで氏は以上のような対話から、一般社会に囲まれたユートピアの特徴を
①欲望を叶えられる者とその欲望を求めて手に入れてくる者とは別人で分離されていることだ。
②どんな仕事にたずさわるのも自由だが、ユートピアの経営に直接関わることに無関係だということだ、と要約される。
そして大切なことはあらゆる管理方式は、大は「国家」から小は思考、宗教、教育の自由化、ユートピア化にいたるまで山岸会の方式の模倣だという。例えば管 理首脳が下僚を意のままに動かせる「鉛の兵隊」に仕立てればすぐにファシズムやスターリン主義に変貌するし、資本主義社会システムでは管理システムの上層 に位置したいためにあらゆる「自由」競争の生涯を送ることになるという。
氏は山岸会のような擬似理想社会が成り立つ根拠を「『役割』の分担」の箇所に見て、そこから完全に分離された管理システムまでを洞察される。それではなぜヤマギシズムは社会的持ち場にとどまらず生き方の完全分業(?)にまで向かおうとするのだろうか?