幸福会ヤマギシ会新聞 けんさん
●知的革命(92)-2005年5月号掲載-
社会愛主義社会(73) 吉本隆明氏との対話(一)
吉本隆明氏の新刊『中学生のための社会科』(市井文学刊)を一読した。著者の情熱溢れる渾身の一冊、「晩年の代表作である」と胸を張る、と銘打たれたこの書は、第一章「言葉と情感」第二章「老齢とは何か」第三章「国家と社会の寓話」の全三章で構成される。
戦後最大の思想家といわれ、齢八十歳を迎えられる氏が、「生涯のうちでいちばん多感で、好奇心に富み、出会う出来事には敏感に反応する軟らかな精神をもち、そのうえ誰にもわずらわされずによく考え、理解し、そして永く忘れることのない頭脳をもっている時期の比喩」としての中学生に贈りたいとおもって書き下ろされたものだという。その意味でも氏の今日までの思索の結実がこの書に盛られてあるとも言えるだろう。
第一章では、詩に魅せられた自身をふりかえって、詩を書いたり読んだりすることは個人としてみれば自己慰安を第一義とするが社会集団としての個人からみたら詩は無用であり、生活に差し支えるわけでもないから別の「有用さ」が求められるという認識が語られる。第二章では、老齢だから身体を動かすのが億劫になってくると誤解されがちだが、本当は身体と精神のバランスが崩れるというか想像力、空想力、妄想、思い入れなどの意志力が活発な割には身体の運動性には即つながらない「背離」に原因があるという。そしてある意味ではこの背離を常に拡大しようという衝動こそ、他の反射的に意志と行動が直結する動物と分かれて言葉や想像力などを生み出す不可思議な動物(人類)を生み出し、その先に文化や文明をもつけ加えたのではないかとおもい至る。だから老いることは耄碌とは異なり、むしろ老いることは自然で、「人間をもっと人間にして何かを次世代に受け継ぐこと」を意味するわけだが、その成否は「自分のなかの『社会集団としての個人』の部分」で知ることができるという。
第三章では「社会」人としての人間はすぐに仲良くなれる存在なのに「国家」が介入すると対立したり戦争をしたりする理由や違いや由緒からはじまる。そして「国家」や「社会」との関わりを自分中心にして考えてしまうところに集団における人間の作り上げた今世紀最大の悪を指摘する。それは優等者は劣等者よりも上位だという精神秩序であり、「国家」や「社会」や「産業」の利益は個人の私的な利益に優るという概念や理念だとされる。だから個人の「自由な意志力」の集まりだけを「社会」の公共性というべきで、そうした集団や公共によって禁圧や制約を受けないで個人の本音の怠惰をも赦すような集団性の例を、作家島尾敏雄の戦争小説や自身の戦争期の勤労奉仕の体験からふりかえる。
そして最後に「山岸会との対話」の一小節が設けられて、ユートピアを志向する山岸会もまた反ユートピアに終わるほかない理路が丁重に説明される。山岸会の会員との対話を反芻し掘り下げられてとうとう現在までに存在するすべての高度社会に当てはまる普遍の「山岸会型管理方式」にまで煎じ詰められ、次に一転して絶望の希望ともいうべき反ユートピアを超える方法が見出されていく。
驚きだった。私たち山岸会会員の試みがここまで検討・分析に値するということに!?